カートは空です
「6th Hawaii Mid Pacific Session in Los Angeles」開催
水溜秀彦 (歯科技工士・Hadent America Inc.)
●はじめに
本稿では、おそらく日本歯科業界初の試みであろう、歯科先進国アメリカ ロサンゼルスの地で海を渡ってきた日本人歯科技工士が力を合わせ、大きな成功をおさめた6th Congress HMPS in Los Angeles の準備11ヶ月の舞台裏をお伝えする。
筆者はロサンゼルス郊外で小さなラボを営んでおり、CAD/CAMを最大限活用して補綴物製作に日々奮闘している。今回私がHMPSの米国事務局を任されたので、その過程でどのような事が繰り広げられたのかをご紹介できればと思う。
話は5~6年程前に遡る。私がいつもお世話になっている遠藤 淳吾氏と近くのKorean Restaurantに飲みに行った時のことであった。遠藤氏は既に世界中で、講演、ハンズオンコースなどを行っており、その経験から『世界的に見ても日本人技工士のレベルは高い。ここアメリカで、日本人主催のデンタルミーティングを開催することは、非常に意義がある』という話をされた。
そこから数年後、実現するにあたり最も力を貸して貰いたかった方が今回の大会長、林直樹氏であるが、林氏はHMPSのファウンダーでもあり、第一回開催の時に当時ノリタケの坂清子社長から『HMPSをロサンゼルスでも開催する事が、このHMPSの意義がある』との助言を受け、林氏自身もロサンゼルスで、日本人歯科技工士によるデンタルミーティングを開催したかったのだ。
となれば話はとんとん拍子にHMPS in Los Angeles開催決定という事で急展開し、さっそく米国側の実行員が選ばれた。
林直樹氏(大会長)、後藤博樹氏、藤原奨氏、遠藤淳吾氏、山川孝始氏、八木信隆氏、筆者(水溜秀彦)
なぜこのメンバーになったのかは正直わからないが、たぶん『実行員としての仕事をしてくれそうな人』で選ばれたと思う。
日本のHMPS事務局側のメンンバー、福澤将豪氏、高橋建氏、都築優治氏、岡崎慶子氏にメールで我々米国側の実行員が紹介され、日本側と米国側の2人3脚での活動が始まった。
●第1回ミーティング(2016/5/13)
今回の会場近くの焼き鳥屋の個室で行われた。ロサンゼルスと一言で言っても端から端までかなりの距離がある。皆住んでいるところがバラバラで、車で1時間半程離れている方もいるので、集まるのも大変である。この時は、お互いに親しい関係の方もいたが、挨拶程度の方もいた。
林大会長から今回のHMPSのスローガンとして『日本人技工士の力、ここにあり』が掲げられ、初回のミーティングなので、さしあたって運営に必要な事を洗い出し、担当者が割り振られた。HMPSを運営されていた林大会長と、山川氏がこれまでの経験をもとに話を進めたので、問題点が絞り出された。しかし、今回はアメリカでの活動になるためすべてが初めての経験になった。
開催日、場所、HMPSのDBA(Doing Business As)登録(屋号登録)、Bank account (銀行口座)の開設、CDT(Certified Dental Technician)クレジットの発行(アメリカの技工士免許を更新するために必要な単位のようなもの。これを発行出来るとCDTの参加者を獲得しやすい)、音響及び映像会社への依頼、スポンサーへの協力依頼、広告、目標集客人数、ホームページ作製(英語版、日本語版両方)、支払い方法、打ち上げ会場、演者選出など、多岐にわたった。
筆者は正直、我々日本人だけでこのような学会をアメリカで開催出来るのか?と思ったが、不安など全く見せない林大会長の熱意に何か眩しさを感じた。
90分程のミーティングが終わり、ようやく美味しい食事にありつけた。お酒も入り、想像も膨らみ、皆興奮しながらこの企画に対する会話が弾み実行員としての一体感も生まれた第一回ミーティングだった。
●事前準備 1
HMPS in Los Angeles始動に先駆け、DBA登録、Bank accountの開設、Paypal account (オンラインクレジットカード決済に使われるシステム)など、林大会長が担当され、日本側と相談しながら進めていった。DBA登録に至っては種々登録書類を作成し、DBASTORE PROCESSING CENTERに送り、2週間前後に受領印が捺された。FICTITIOUS BUSINESS NAME STATEMENT(ビジネス上で使う通称の声明書)がオレンジカウンティー(今回登録した街)から返送された。その後、週一回4週連続でDaily Journal 紙にDBA 「HMPS」が公示され、登録が完了。HMPSの銀行開設には、代表者のIDと受領印が捺された、このFICTITIOUS BUSINESS NAME STATEMENTが必要で、ようやく開設することが出来た。私はこのような面倒臭い事務業はすべて公認会計士の方にお願いしているので、正直ここまでするかと驚いたと同時に、林大会長のこの会を大切に思っている表れのように感じた。
アメリカで発行される技工士免許はCDT(Certified Dental Technician)というもので、免許を保持するために毎年合計12時間の教育を受けなければならない。12時間の内容は1時間の基本的教育、6時間の科学的教育、5時間の応用教育である。そこで、様々な学会に参加しクレジットを貯めていかなければならない。そこで、このクレジットを発行出来るように担当の後藤氏がNBC(National Board for Certification)国家委員会に問い合わせし、手続きを踏んだ。通常アメリカで講演をする先生方は、スポンサーのメーカーがこの手続きを行っているのだが、今回はHMPS主催という事で本当に1から全てを行わなければならなかった。
会場選びは時間が必要な作業で、日頃忙しい技工士にとって多大なエネルギーを必要とするものであった。担当の藤原氏は、空港から近いホテルを中心に問い合わせし、会場回り、値段交渉を行い予定候補地を絞り込んでいった。巨大なプロジェクターで会場の後ろからスクリーンに映し出す手法を取り入れるため、会場選びにも制限があった。これは林大会長の美しい映像、感動を参加者に届けたいという拘りである。
ホームページの作成も骨の折れる作業で日本事務局の高橋氏が担当した。世界中からのアクセスを想定し、主要ブラウザーで問題なく見えるように何度もテストし、そこにクレジット決済もリンクさせた。日本語でホームページ作成後、遠藤氏が日本語からが英訳を行い、さらに林大会長の臨床パートナーでもあるJon Y. Yoshimura, DDSが最終的な英訳編集を行い英語版ホームページも完成させた。
先の全く見えないHMPS米国開催にあたりスポンサー様への協力依頼は大切な業務であった。まずは、担当の山川氏が協賛依頼書の制作を担当し、日本語版、英語版が作られた。それを元に、各実行員がそれぞれ知っているメーカーの担当の方に問い合わせ、直接話を聞いてもらうという地道な作業から始まり、根気よく交渉を重ね賛同を得ていった。もちろん、実行員の中にアメリカで大活躍されている方のおかげで、賛同してくれるスポンサーも少しずつ集まってきた。
このように業務は個人に任され、近況報告はメールや、携帯のメッセージ機能を使い連絡を取り合い、遂行していった。実行員皆職場も違うため、情報共有のためのオンラインファイルで進行状況を把握していった。しかし、日常の忙しさからか、業務が遅れることも出てきた。
筆者も林大会長と藤原氏とホテルの下見に行く約束をしていたが、土壇場になり時間の都合がつかなくなり、約束を守ることができずにホテルの下見に行くことができなかった。皆、アメリカで親も親戚もいない状況で1からスタートし、厳しい世の中、アメリカ歯科技工界も例外は無く、多くの個人ラボが潰れ大きなラボだけが点在し、生き残るのに必死だ。日頃の仕事に追われ、他の業務を行う余裕など正直無い。


●第2回ミーティング(2016/8/21)
開催に向け少しずつ準備が整い、第二回のミーティングが、林大会長のオフィスでもあるUltimate Styles Dental Labで行われた。藤原氏、遠藤氏、八木氏、筆者の4人は住まいがロサンゼルス郡なので、ウーバー(個人タクシー)で乗り合って目的地のオレンジ郡にあるUltimate Styles Dental Labに1時間半かけて向かった。 今回のミーティングは、それぞれ担当の進展状況報告、スポンサー依頼、ホームページ用の演者抄録及びケース写真、展示ブースのテーブル、名札及び名札ケース、受付、音響・映像機器の設置及びテスト、お茶菓子の手配、チェックのドアマン、撮影機録などについて話し合った。 ミーティング終了後、近くのManpukuという焼肉屋で食事会をした。皆アメリカ在住といっても近くに日本食レストランが数多くあるため、やはり胃袋はこのような所で落ち着く。ミーティングの後の食事は、緊張からの開放感と掘り下げた話で、酒が旨い!!
●事前準備 2
この頃いよいよホームページ作成が終盤を向かえ、8月27日にインターネット上に公開した。同時にFacebookで広告し、多くの人に知らされた。と、直ぐに申込者が入った。「へー誰だろーこんなに早く」と思い確認したら、Jon Y. Yoshimura, DDSであった。こんなに早く、しかも1番最初に申し込みをして頂いた先生に、臨床パートナーの林大会長への愛を感じた。たったこれだけの行為だが、このような積み重ねが2人の絆を深めている理由と感じ、あのような素晴らしい臨床を世に贈り続けてるのかと2人の関係を羨ましくも思った。
米国事務局はこれからが本番で、スポンサーからの申し込み依頼、HMPS参加申し込み、メールでのやり取り、電話での対応に追われた。日常のラボ業務をしながらの対応は神経の磨り減るものだった。弊社スタッフと協力し対応して行ったが、1度も経験した事のない事務局の仕事に振り回されていた。申し込みはしたが、お金を払っていない方への問い合わせ、クレジットカードが使えないという方への対応、スポンサーからの質問及び’問い合わせ等、また、アメリカ国外からの申込者で、アメリカに入国するためのビザの質問など、返答に困るようなものまで、googleで調べて出来る限りの対応はした。アメリカ国外からわざわざHMPSに参加したいという思いがとても嬉しく、誇らしく思った問い合わせだった。
開催まで残り半年が過ぎ、この時期に行われるアメリカ学会への広告用チラシも作った。各学会に配布の承諾を頂き、AMED 150部 (Academy of Microscope Enhanced Dentistry)、 LMT(Lab Management Today) EST 400部、Bio-Emulation 300部, SCAD (Society for Color and Appearance in Dentistry) 300部、DLOAC(Dental Laboratory Owners Association of California)、DTG (Dental Technicians Guild) 等。これらのチラシデザインは全て林大会長によるものだ。同時に、Bio-Emulation、DLOACの学会では、林大会長自ら参加者に向けHMPSの案内も行った。DTGの学会では、遠藤氏が参加者に向けHMPSの案内を行った。
HMPSのFacebookでの広告でも紹介し、ルーク長谷川氏からも「何か手伝いたい」との事で、広告用デザインを頂き拡散させた。
●第3回ミーティング(2017/3/26)
いよいよ本会まで3 週間となり、第3回のミーティングが前回同様、林大会長のオフィスのUltimate Styles Dental Labで行われた。この日は、当日のシュミレーション、役割分担を主に、最終調整を行った。ここまできたら本番を迎えるだけなので、そういう意味では落ち着いた感じだった。食事会は、近くのTokyo Tableという日本の居酒屋をアメリカ風にアレンジしたレストランで、Bomb Sushi Pizza(ご飯を生地にした、ノリ、ロブスター、カニミックス、サーモン、ホタテ、タマネギ、ダイナマイトソース、ハラペーニョを載せて焼いたもの)が最高だった。すごく人気のあるレストランで、常に満席だった。ここでは、「日本の歯科業界を盛り上げるためにはどうしたら良いのだろうか」という問題に火が着き、色んなアイデアが飛び交った。皆、真剣にこの話題に発言し、声も大きくなり、熱を感じた。このような輪が広がると「何か」が変わり、いい未来の予感がしてならない。
●事前準備 3
開催も残り10日を切った時に事件が起きてしまった。林大会長から電話が入り話を聞くと、押さえておいた会場の隣で大きなイベントが入ったようで、ホテル側の勝手な判断でその部屋を変えたというのだ。ホテル側の理由は、「隣に大きなイベントが入ることによって、その部屋が騒がしくなる。その隣で、学会をするにはうるさすぎるだろう。」だから、他の部屋を用意したと言うのだ。今まで、この会場に合わせて音響及び映像会社にスクリーンを組んでもらうように手配し、見積もりも出し、テーブル配置まで決まっていたのに、すべてが振り出しに戻ってしまった。
その日、すぐ藤原氏とホテルに足を運び別の部屋を見に行くことにした。用意された別の部屋は、意外にもいい感じではあったが、前の会場に比べ天井が低く横に長い会場であった。しかも中心に大きな柱があり、プロジェクターの光を遮るのではと心配した。この会場の写真をすぐに林大会長に送ると、やはり天井の高さと柱が気になり、音響及び映像会社に急遽部屋が変わってしまい、この会場に対応出来るかどうか聞いてみるとの事で、我々は返事を待った。
しばらくして、林大会長から笑いながら電話がかかってきた。なんで、深刻な事態にとは思ったが、話を聞くと、なんとホテル側は数週間前訪れた今回依頼した音響及び映像会社に、スクリーンを設置するHMPS会場はここですと、変更後の会場をすでに案内していたのだ。私も開いた口が塞がらずに笑ってしまった。


●開催前夜(2017/4/14)
前夜、実行員7名は最後の打ち合わせをすべく会場ホテルへ各自向かい、会場の最終チェックや、各スピーカの試写などが行われた。続々と参加者、スポンサーの方などもホテル入りしているようだったが、ここでさらなる問題が浮上してしまった。アメリカの学会などでは学会の初日、レセプションパーティー(宴会)が行われる事が時々ある。実はミーティングの後、同じ会場でレセプションパーティーの案はあったが、1日限りのミーティングであるし、予算の限度を超えたこともあり、近くのレストランで、参加希望のスポンサーと実行員だけのお疲れ様会を行う予定にしていた。参加者には何も告知はしていなかったのだが、レセプションパーテーを楽しみにしていた方も多く、何度も参加出来るか質問されたのである。そこで、この事について緊急ミーティングを行い、今回1日限りのミーティングに関わらず、結果世界12カ国からの参加者が集まったこの方達に喜んでもらうために最善を尽くそうとの結論になり、急遽藤原氏が会場のレストランに電話し、椅子もテーブルも片ずけて立食形式にして人数を増やせないかと交渉した。人数に制限はあったが、レストラン側も幸い対応してくれた。これで、希望者は、レセプションに参加出来るようになった。
●開催当日(2017/4/15)
ついに当日を迎え、担当の八木氏、藤原氏が朝6時よりメーカーブースの設置のためのスポンサーを迎え、説明を行った。スピーカールームの茶菓子や飲み物も準備され、8時になると参加者が続々と会場に集まってきた。中には、Dr.Ed McLaren, Dr.Pascal Magne, Mr.Michel Magneと、業界有名人の顔もあった。勿論この大会を誰より心待ちにしていた坂清子先生も会場に入り、開会式での挨拶を英語で話された。 演者皆、英語で堂々と素晴らしい講演内容で、参加者も真剣な眼差しが印象的だった。休憩が入り、メーカーブースに人が集まってきた。そこの1つのブースになぜか遠藤氏が材料の商品説明をしていた。実は、ブース出展社の担当の方がどうしても都合がつかなくなり会場に行くことが出来なくなったのだ。そこで、その会社の知り合いでもある遠藤氏が担当者に代わり、会社紹介、商品説明をしていたのだ。実行員、演者、スポンサーブース代行と、1日3役演じたパワフルな遠藤氏であった。 気がつくと、いつも間にか全ての講演が無事に終わり、参加者も興奮しながら最後の別れを惜しんだ。
●終わりに
ここ10年、米国の学会で人を多く集めることが難しい時代になってきていると感じる。 おそらく理由としてあげられるのが10年前に比べインターネット、FacebookなどSNSの広がり、スマートフォンの普及が挙げられると思う。インターネットで、知りたい歯科情報を簡単に調べることができ、SNSで知り合いたい歯科人とすぐに繋がり、スマートフォンでいつでもどこでも、調べ、聞くこともできる。この時代の変化により、昔の日本の技術職によく見られた「見て覚えろ、技術は盗め」の時代に比べ、格段に技術の習得の時間が短くなり、格差も少なくなり、患者様にとってはとてもいい傾向になった。しかし、ある程度技術を習得した人は、美しいもの、一流のものを見たい、感じたい、触れたいなど欲求も出てくるもので、6th Congress HMPS in Los Angelesは、そこをくすぐるようなミーティングになったと思う。
今回、6th Congress HMPS in Los Angelesの舞台裏という事で、読んで頂いた方に出来るだけ”熱”が伝わるように書いたつもりである。これだけの大仕事を実際に運営する中で、確かに実行員同士でも温度差が合った時期もあった。しかしこのメンバーをまとめ、強いリーダーシップを執り、この会を大成功に導いた林直樹という人は惚れるに値する男であった。 終わってみれば11ヶ月間という短い活動だったが、強い信念、細かい心配り、深い優しさを強く感じた月日だった。改めて、このHMPSに実行員として活動出来たことに深く感謝したい。
最後に、HMPS米国事務局の運営の間、いつも支えてくれた弊社スタッフの川島栄、阿部健次に感謝申し上げる。

